蒲郡の花火は私が幼児の頃には既に行われており、
記憶が残っている一番古いものは恐らく1960年代の
初期、1961年とか2年のものです。

こちらの画像は県道73号線で、蒲郡を南北に走って
おり、それは蒲郡市水竹町の辺りでも同じです。
真南に障害物がないため、花火の夜は道路から
遠くの花火をきれいに見ることが出来ました。
そして、この頃はまだ自家用車の普及もまだまだ
全然という頃でしたので、黄色の円の辺りに机やら
椅子を積み上げて、町民が鈴なりになって花火見物。
自家用車がほとんどないんですから、道路を塞いだ
まま、花火見物をしていても問題がなかったのでしょう。
このいつもとは違う情景の記憶と結びついて、私の
一番古い花火の記憶として残っているような気がします。
打上げ場所から2kmほど離れているため、光って
しばらくすると「ド~ン」と聞こえて来る時間差
攻撃鑑賞でしたけど。
この時に一緒にいた母親から
「光と音は一緒に出るんだけど、光のほうが速いから
音が後から遅れて聞こえて来る」
ということを教えられました。
今考えても、教育熱心というか知的な母親だったなあ
と思います。
それを教えられた時はすごく不思議に思いましたが。
2026.11.8

こちらは現代の蒲郡の花火、竹島橋の上で大輪の花
を咲かせている三尺玉の映像です。
この景色は竹島橋の左側海岸からのものだと思い
ますが、小さい頃、父親が連れて行ってくれて、
この角度からも見た記憶があります。
当時の花火は打ち上げる時に尾を引くタイプが少なく、
音だけがヒュルヒュルと聞こえ、いきなりドカーンと
炸裂するタイプが主流でした。
海岸に近いマンションに住むようになってからは
マンションのベランダからいつも見ていますが、
少しでも近くでと、かつてはいろんな所で見ました。
中学の頃は自転車に乗って市民会館の芝生の所で、
子供が小さい頃は当時あった鉄道の跨線橋上に停めた
車の中からと。

或いは、日曜の月例競技が終わった後、
「早く帰らないと花火が始まっちゃう」と風呂にも
入らず、帰路を急いだこともあります。
会社の同僚たちを招き、料理を揃えてみんなで
マンションから鑑賞したこともあります。
それらを含め、もう60数回にもなってしまいました。





