ドゥーディ・ランブラーズ
ザ・フォーク・クルセダーズ
「帰って来たヨッパライ」1967年
(作詞:松山猛・北山修、作曲:加藤和彦)
はしだのりひことシューベルツ
「風」1969年
(作詞:北山修、作曲:端田宣彦)
はしだのりひことクライマックス
「花嫁」1971年
(作詞: 北山修 、作曲: 端田宣彦・坂庭省悟)
はしだのりひことエンドレス
作詞・作曲に、はしださんは関わっていません
でしたが、「帰ってきたヨッパライ」も衝撃的な
歌で、これも大ヒットしています。
1967年ですから私が9歳、小学校3年生の時です。
歌謡曲の牙城の中でスパイダース、タイガース等の
グループサウンドがブームを巻き起こそうとして
いた頃になります。
そんな中で「帰ってきたヨッパライ」。
腰が抜けました。
そんな数々の大ヒットに関わっていたはしださん
ですが、私の中ではコメディアンのイメージが
どうしてもぬぐい切れません。
同じような活動をしていた北山修さんだとか、
加藤和彦さんにはなんかインテリフォークシンガー
というイメージがあります。
シューベルツの時のメインボーカルであった杉田
二郎さんには、のちに「戦争を知らない子供たち」を
大ヒットさせ、反戦歌手というイメージもあります。
なのに、はしださんはコメディアン。
そして、今は逝去されていることもありますが、
世の中から顧みられることもほとんどないような
気がして残念です。
でも、私の中でのはしださんは非常に印象が強いです。
2026.8.21
はしだのりひこ=コメディアン というイメージは
次のようなエピソードからも推測頂けるかもしれません。
あるテレビ番組に出ていたはしださん。
その番組に巨漢の相撲少年が登場しており、
番組のMCが小柄なはしださんに、
「ちょっと相撲を取ってみたらどうです?
いくら大きくても相手は小学生。
負けないですよね?」と無茶振り。
小学生といえど100kg超の相撲少年に身長163㎝で
普通の体型のはしださんが勝てるわけもありません。
何度も無謀な挑戦をしては、そのたびにMCから
「もう一度」と振られ、跳ね飛ばされていました。
その時のはしださんの苦笑いというか複雑な表情は
忘れられないです。
彼の芸能界における位置づけがそういう感じだった
からこそ、そういう演出をされたということもあった
とは思います。
でも、あの光景はやっぱり忘れられないです。
はしださんにそんなことをやらせんなよって思い
ながら見ていました。





