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浅井久政・長政について思うこと


 
戦国時代、それも秀吉・家康・信長の誰かが主人公の
映画またはドラマですと、多くの場合、淺井長政が
登場して来ます。
 

 
そして、描かれ方はほぼ確実に信長と敵対することを
なんとか避けようとする長政の姿です。
信長の妹、お市のこともあって。
 
が、朝倉を背景に父久政が強引に反信長へと長政を
引きずり込もうとする。
 
その結果、父や朝倉の意向に抗しきれず、長政は
やむなく反信長へと立ち上がり、最終的に朝倉も
淺井も滅亡。
 
最近の研究では、淺井と朝倉にはそもそも長年の
従属関係はなかったという説も出ており、恐らく
それは正しいだろうと思います。
 
そして、歴史に素人であり、この分野を調べたわけ
でもない私が違和感というか、違うんじゃないかと
思うこともあります。
 
そもそも、長政には淺井家の主導権がなかったん
じゃないのか?父久政に逆らうことの出来ない立場
だったんじゃないのか?
という点です。
 
長政は確かに家督を相続していますが、これは
1560年で父久政がまだ34歳の時です。
 
そして、信長が小谷城を攻撃したのがその13年後
ですので、久政はその時まだまだまだ47歳。
映画・ドラマではかなり老けた感じにされていますが。
 
一方で、織田信長は1575年に信忠に家督を譲り渡して
おり、それは信長が41歳の時です。
 
その後に信長は安土城を築城するなど、まだまだ
全然活躍していますので、家督を譲ったとはいえ、
信長が実権者であったことは明らかです。
 
となると、当時は家督を譲ってというのは今の
イメージで言う隠居ではなく、単に後継者を示す
セレモニーに過ぎなかったのではないか?と思います。
 
淺井長政の場合も彼が実権者ではなく、父久政に従属
する立場で、映画やドラマでの描かれ方は実像とは
かなりかけ離れているのでは?と思っています。
 
長政とお市の方の婚姻も、信長と長政による合意では
なく、信長と父久政の合意によって成立した政略結婚
ではないか?という話です。
 
そう考えると、長政がお市の方の存在があったとはいえ、
父久政の意向に従って、反信長の立場に立ったことにも
納得がいきます。
 
そして、政略結婚で結ばれた織田家ではあるが、袋の鼠と
なった信長を見て、政略結婚によるメリットよりも目先の
メリットを優先したのは淺井家として合理的な判断でしょう。
 
2026.5.28
いやま、映画・ドラマだから別にいいんですけど、
歳を取るといろんなことを知ってしまうため、映画や
ドラマを見ても素直に視れないことが多いです。
 
「う~ん、それは違うんじゃないの?」
「いや、それはあり得んだろう。」とか。
 
淺井長政のくだりについてはいつもそう感じていました。
 
まあ、そう考えること自体も面白いんですが、そう
思う頻度が高すぎる映画やドラマは途中で見る気が
なくなってしまいます。

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